メディアとブランド アドボカシーとセレンディピティー
数ヶ月前にYouTuberについてのポストをしました。
(google的には、YouTuberという呼称はオフィシャルではないかもですが。)
今日、また、ひとつの変化が、またありました。
知人・友人が大きく関わっていることもあり、言及は避けようかと思ってるんですけど、僕の周りの、メディア・コミュニケーションに関わる多くの方が、このブログメモも見ていただいている、とよくお声がけいただくのであえて、コメントを残しておきます。
(この動画単体を見ても状況は理解できないと思いますが、ぜひ全尺をご覧ください)
この数ヶ月、本当に嵐のごとく、日々コンテンツ・周囲の環境が目まぐるしく移り変わっていきました。
上述のブログを書いた頃から、僕は、できるだけ、毎晩、就寝前に前述したヒカルさんだけでなく、多くのYouTuberの動画を見るようにしていました。
彼らが投稿した話題を、「後追いの記事」ではなく、そのままのコンテンツとして、受け取って行きました。
ギリギリを攻めるネタに辟易としたりもしますし、TVやSNSにはない切り口に、心から楽しんだりもしています。
若年層や、子どもが憧れる、会いたい、と思わせるパーソナリティも、イマドキな時代感をカンジました。
メディアとして、情報伝播だけでなく、ヒトを動かすきっかけを作っているクオリティの高い「動画」コンテンツに日々尊敬をしていきました。
YouTuberのオフラインイベントの熱量、ほんとにすごいですよ。
HIKAKIN Opening @ YouTube FanFest Japan 2016
企業・ブランドは怠慢なのか?
こうやって文字・写真にブログに残すことって、スマホ・PCがあればできちゃう。でも、本当は、いまやスマホがあれば、本当はもっとリッチな「動画」だってできちゃう。そのコミュニケーションの熱量に早くから気づいたYouTuberたちは、「動画」に、いち早くシフトしていった。
そう考えると、企業のコミュニケーションって「ぜんぜん2017年な時代感ではない」。
生活者が見たいもの、知りたいもの、笑いたいこと、シェアしたいこと。
届けている?届いている?
(メディアとブランドの関係性はこちらの書籍にも。 )
ファン(アドボカシー)に伝えること・伝わること・マスマディア的偶発性
偶発的な出会いがないと思われている、アドテク的に個別最適されたスマホメディア。
僕はYouTubeだけでなく、ニコニコ動画でもセレンディピティ的出会いをかなりしている。
涙する動画とYouTubeやニコニコ動画と出会っていますか?
僕は今夜はこれにぐっときた。
【ピアノ】 ボーカロイドの曲をメドレーにして弾いてみた2017(Vocaloid songs piano medley)
ニコニコでも活躍のまらしぃさん。(僕はCD音源もほとんど持っている)
視聴者との時間共有を行ってきたからこそ、出せるコンテンツ。
企業は、生活者とコミュニケーションできているであろうか?
スマッシュヒットは、まぐれ、ではなく、日頃から生活者と向き合っているから。
今日はたくさんの感謝のお言葉をいただき、本当にありがとうございました。1つ1つ、拝見しております!一番搾りが新しくなりますが、これからもキリンビールをどうぞよろしくお願いいたします!みなさま、Happinessな週末を✨ pic.twitter.com/bBObyCLbfR
— キリンビール / KIRIN BEER (@Kirin_Brewery) 2017年8月25日
別にスマッシュヒットを日々狙っているわけではなく、ファンと対話をしたいだけ。
そこから、その環が広がり、セレンディピティ化することもソーシャルの強み。
(厳密に言うとセレンディピティ的メディア接触ではないか。)
ステマ→アドブロック→不正レポート→フィエクニュース・コピペメディア的な流れ
今月号の「宣伝会議」にすがけんさんの寄稿があります。
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ネット広告が届かなくなった理由と対応
今、必要なのはユーザーフレンドリーなコミュニケーション設計
スマートニュース 菅原健一
デジタル以外の担当者にも読んでほしい寄稿です。
と、相変わらず、内容がとっちらかっているのですが、明日は中村さんたち、これにでます。メディアとかスマホとか、アプリとか動画とか、いろいろお話する予定です。(たぶん)
decodetokyo201709.splashthat.com
あ、来られない方は、「ガイアの夜明け」をみてね♡
(#デジタルな話題は一切でてきません、たぶん)